屋島合戦に勝った義経の気持ち

屋島合戦について平家物語吾妻鏡河野氏関係の史書とを突き合わせた結果、前者が黙して語らぬ部分を後者が矛盾無く補い、屋島合戦の全体像が見えた気がしている。子供の頃、源平盛衰記屋島合戦を読んだ時、たった150騎でどうやって勝ったのか不思議でならなかったのを今でも覚えている。その疑問を漸く解き明かしてすっきりした気分になった。
だが、ふと嵐に襲われなかったらどうなっていたかと考えた時。義経の苦い気持ちに思い至った。作戦がすんでのところで破綻する危機を切り抜けて勝利を得たが、もし作戦が順調に進んだら、それこそ完全勝利だったのではないか。それを逃がし、義経にとっては悔いの残る勝利だったのではなかったか。
予定通り2月21日に源氏・河野・熊野の全軍が屋島で合流していたら、恐らくは屋島を陸海から完全に包囲したであろう。田内勢は分断されたまま故、屋島は極めて手薄である。従って平家方は戦っても勝ち目は無く、海にも源氏方の兵船がひしめいて逃れることも出来ず、義経天皇三種の神器も取り戻し、完全勝利を収めたであろう。実際には嵐のため予定が狂い、勝つには勝ったが平家を海に逃がしてしまった。それ故義経にしてみれば、会心の勝利にはほど遠く、大いに悔いの残る勝利では無かったかと推察する。
嵐のお陰で平家はなお生き延び、最終決戦の場が残されることになったが、これは滅び行く平家への天の哀れみだったかも知れない。かくして源平の無敗のエース義経と知盛の最初にして最後の決戦が、壇の浦で行われることとなった。