「その時歴史は動いた『源義経 栄光と悲劇の旅路』」批判−その4

番組では義経が壇の浦合戦に際して平家方の武将に働きかけ、河野水軍、熊野水軍、田口水軍を寝返らせたとしていた。これは歴史に関して無知であり、平家物語吾妻鏡も見ていないことを自白する間違いである。
河野氏は平家勢力の真っ只中で、頼朝の旗揚げに時を置かず反平家の旗を掲げ、幾多の困難に遭いながら義経が来るまで支え切ったことは、歴史書を見れば直ぐ判ることである。それを壇の浦合戦の時に平家から寝返ったとは、どこから出て来る戯言か理解に苦しむ。
熊野水軍にしても同様で、河野氏と同日に熊野水軍屋島にはせ参じている。これも壇の浦合戦の時に寝返ったのではない。阿波の田口氏は確かに壇の浦合戦の際に寝返り、そのため平家の作戦が源氏方に筒抜けになってしまった。いずれも平家物語吾妻鏡に記されていることである。
戦後、田口氏は源氏勝利に貢献したにも拘わらず、旧主を裏切ったとして処刑されている。一方河野氏は功績を高く評価され、西国武士で河野氏のみ重く用いられ、守護に準じる立場を認められた。河野氏の処遇は田口氏の処遇とは対極の位置にある。両者の差は何か。NHKはこの点についても認識を新たにすることが必要である。