讃岐土居氏に関する談話室の書き込みを再度チェック

讃岐土居氏のご子孫が、お調べになった結果に基づいて、一つの仮説をお立てになった。それは、伊豫でしばしば騒動が起きるのは細川氏が後ろで糸を引いているからで、その根を絶たねば騒動は収まらない。そこで土居通三が讃岐の安原山地に入り込み、細川氏に対抗しようとしたと言う内容である。現に讃岐には土居を名乗る人が多く、最近聞いた話では三系統あるとのこと。そのうち一つは播磨から来たそうで、時期は他の二系統より遅いらしい。この仮説をお立てになった方は通三のご子孫とのことで、通三以外の墓は一つの墓地に纏まって現存する由。ただ通三の墓だけが見付からないのだそうだ。
この仮説を頂戴し、安原山地がどこか談話室ゆづきで暫く書き込みが続いた。今日それを読み返し、記憶を蘇らせた。(談話室の2004年7月を参照)
讃岐に土居氏が行ったのは通三が最初ではなく、南北朝の時代から南朝方として入り込んでいたらしい。この辺の事情を探る必要があるが、地元では余り関心を持っていないようなので、問題提起が必要だ。