昨日の話を少し考えて見た

昨日の同笵瓦の件は、版木を持っていたのはどこかがキーになる。勘では泉州だが、断定するのは確実な証拠が見付かるまで待つしかない。
瓦を焼く窯は用済み後壊してしまうと言うのは、何を意味するのか。この件に関係すると思われることを思い出した。湯築城、岡豊城、中村城の瓦は土質が異なると言う。これは焼かれた場所がそれぞれ違うことを推測させる。つめり、瓦の職人集団が版木を持って各地に出向き、そこの土を使って瓦を焼いていたのではないかと言う推測である。
こう考えると、瓦を焼いた後、窯を壊してしまう理由も判る。職人が居なければ残して置いても無用の長物である。このように推測するなら、窯を壊した跡があれば、それは瓦職人が出張して来た跡であると言うことになり、その場所には瓦職人も居らず版木も無かったことを示す。
こう考えると矢張り三つの城の瓦は、泉州の職人集団が作った可能性が高く、彼らが伊豫や土佐に出張して来て作ったのではないかと推測する。それを確かめるには三つの城と堺で出土した瓦の土を分析したら、何かが判るのではなかろうか。それともう一つ、泉州で同笵の瓦が沢山見付かれば、版木は泉州にあった可能性がより高まると思う。「出て来い、出て来い池の鯉」、でなく、「同笵の瓦」。