平成28年度湯築城歴史塾第一回に関連して

平成28年度湯築城歴史塾「四国・安芸の中世城郭」の第一回、「土佐国城郭の特徴」が昨日子規記念博物館の4階講堂で行われた。講師は高知県文化財埋蔵文化財センター 所長松田直則氏。
土佐の城は、土佐古来の城、一条・長宗我部時代の城、秀吉に降伏した以後の城と三つの段階があり、それぞれの特徴があると言う。一条・長宗我部時代の城は、堀切と畝状竪堀を多用することが大きな特徴である由。
松田講師は話の中で、湯築城、岡豊城と中村城から出土した同笵瓦について軽く触れた。それはこの同笵瓦について、長宗我部氏が湯築城を下した証拠とする説を唱える人が居るからである。この同笵瓦は実は泉州からも見つかった。これが意味することは版木で造られた瓦が湯築城、岡豊城、中村城、泉州の4か所で使われていたと言うだけのことである。その版木はどこに有ったのか、誰が持っていたのかは判らない。勿論この瓦が土佐系のものなどと言えることではない。
この時期、泉州と伊予には瓦を焼く職人が居り、窯も有ったが土佐には無かった。その土佐に版木だけが有った筈は無い。版木は泉州か伊予のどちらかが持っていたのであろう。土佐には泉州で焼かれたとはっきり判る瓦が出土しているそうで、以下は勘に過ぎないが、件の同笵瓦も泉州製である可能性が高いような気がする。
ただ瓦の版木製法は安土城築城に始まると言われているが、これが事実とすると伊予と土佐の3つの城の同笵瓦は、製造時期が早過ぎ、今一つ納得できない点が残る。瓦の版木製法は奈良時代から存在すると言う話もちらりと聞くので、それが本当なら納得できるのだが、真実はどうなのか。