湯築城歴史塾今年度最終回

いよいよ年も押し詰まり、今日は平成28年度湯築城歴史塾の最終回を迎えた。講師は桑名洋一氏で、湯築城保存運動の仲間で、会うのは久しぶり。今日の演題は「天正年間における芸予土の動静」で、長宗我部元親が四国制覇を目論んで居た頃の、毛利・河野と長宗我部との和平交渉に関する話。この交渉は纏まらず、元親は伊豫を攻撃したのだが、もうちょっとと言う段階で秀吉軍が四国に上陸したため、土佐勢は退いた。
だがその時、取り残されたのか、自分の意志で残ったのかは知らないが、伊豫に留まった者が居り、その子孫が道後でコーヒー店を開いている。これはその店主から聞いた話だが、留まった場所は日浦から少し入った所で、人数は一人ではなく複数人が残ったらしい。日浦と言えば湯築城から20kmくらいだろうか。後少しと言うところまで進撃していたことはこれからも窺える。
日浦は今治方面に抜ける317号線沿いにあるので、土佐勢の進撃路の見当が付かない。長宗我部氏に味方していた金子氏は新居郡なので、土佐から笹ヶ峰辺りを越えて新居郡に入ったなら、金毘羅街道を進むのが自然である。何故日浦の方に向かったのか、謎である。
それはそれとして、日浦の辺りに土佐の残党が留まり、その子孫が今も住んでいる事実を桑名氏に参考までに話す心算だったが、話し忘れてしまった。これも歳のせいか。