今日は兄の命日

 75年前の今日、昭和20年8月11日は、フィリッピンルソン島東側のラモン湾で兄が戦死した日である。兄は暁部隊の第一期生であった。暁部隊は4期まであったが、実践に間に合ったのは第一期生のみだったと聞く。暁部隊が出動するのは最悪の戦場であって、連絡も取れず万策尽きると暁部隊が舟艇で突っ込んで行ったそうだ。そのような状況で、隊員3000人の内生き残ったのは僅かに11名。

 兄の戦死日は公報では8月1日となっていたが、上記の状態では記録も残っている筈はなく、正確な日は判らないと言うのが正しいと思う。戦後暫く経って生き残った人が居ると知り、問い合わせた所、1日ではない、11日にラモン湾で舟艇特攻を掛けて戦死したと教えて呉れた。こちらも正確かどうかは分からないが、舟艇特攻を掛けた日であるなら記憶も確かではないかと思う。

 8月11日であるなら、終戦が数日早ければとの思いは有るが、日本軍が厳しく戦ったからこそ、戦後日本が侮られることが無かったと何かで読んだことが有る。武人は良く戦う者を尊敬し親近感を覚えるのは、洋の東西を問わず共通する心理である。もし日本軍がだらしない戦いをしていたら、戦後日本は酷い嘲りを受けていただろう。兄の戦死は残念だが、戦後日本が嘲りを受けることが無かったのは、兄達の奮戦があったお蔭と、感謝の気持ちで一杯である。この事実を教訓として、今後も日本は如何なる時も毅然たる態度を忘れてはなるまい。