湯築城の生命線は堀だった

秀吉が大阪城を落とすには、戦を出来るだけ早く講和に持ち込み、外堀を埋めてしまうことだと洩らしたと伝えられているが、湯築城の最大の防衛力は堀だったと思う。外堀を川に近接して設けたことにより、川と外堀が実質的に一体化し、攻撃側の弓矢を無力なものとしてしまった。弾正少弼通直以下の智恵の塊りと言って良い。
大坂冬の陣で家康は秀吉が言った通りを実行して、大阪城の堀を埋めてしまった。湯築城を落とすには同様の手を使うか、堀の水を抜いてしまうことが有効では無かろうか。水の手を断つのは多分不可能だろう。
外堀の水を抜くのは、一寸した工事をすれば出来そうな気がする。