神武東征の真偽

今日、「東京塾・第26回研修会【長浜浩明】古代日本「謎」の時代を解き明かす 2014.11.8」と題する動画を観た。この動画では大阪の地勢の変化に照らし合わせて、神武東征が有り得たことを示している。
大阪には遥か昔に河内湾が有ったことは、今では広く知られている。古くは河内湾であったが、次第に埋まって来て河内潟となり、次いで河内湖となり、今では完全に陸地になってしまった。
日本書紀の神武東征の記事に記された行動は、河内潟の時期なら可能であり、その前の時期にも後の時期にも不可能と言う。河内潟の時期であれば記事通りの行動が可能であるなら、日本書紀の記事は史実である可能性を頭から否定するのは誤りであり、色々な角度から検討する必要がある。
昭和15年に皇紀2600年の祝賀行事が行われた。昭和15年は西暦1940年であるから、皇紀元年はBC660年になる。河内潟が存在した時期はBC1050〜BC50年だそうであるから、皇紀元年はまさに河内潟の時期に当たり、日本書紀の神武東征の記事に記された行動が可能であるあ天皇がそんなに昔の人物とすると、矛盾も出て来る。卑弥呼の頃まで1年を2年と数えていたらしいので、その頃より前の年数を半分に見積もることが必要かも知れないなどと考える。そのように修正すると皇紀元年はBC200〜100年位になるかも知れない。
歴史を探るのは楽しいことである。