古代の葉栗郡

埋蔵文化財愛知の「西上免遺跡」で下記の記述を見つけた。

古代葉栗郡は『和名抄』によれば葉栗郷・河沼郷・若栗郷・村国郷・大毛郷の5郷がみられる。このなかで村国郷は現在の江南市村久野を中心とする地域とされ、村久野は村国の転訛とされている。美濃国各務郡にも村国郷が存在し、壬申の乱で活躍した村国男依一族がここを本貫地としていた。美濃国各務郡には村国神社二座と村国真墨田神社があり一族の氏神とされる。また、尾張国村国郷も一族の管領地域と考えられており、村国男依建立といわれる音楽寺、また村国神社が存在する。このように、村国郷は美濃国と深い関わりのある地域と考えられ、刻印須恵器も流通したといえる。この他、現在の江南市宮田字貝売付近から集中して出土しているのは、木曽川大船航行の限界地がこの付近とされているのと何か関わりがあるように思う。

葉栗郷は葉栗郡の郡家のおかれた主郷と考えられていて、その所在地は、現在の一宮市浅井町尾関の地が有力と言う。村国郷は江南市村久野を中心とする地域であるなら、この場所もほぼ見当がつく。大毛郷も一ノ宮市に大毛の地名が残るので、この場所も判る。若栗郷も一宮市浅井町大日比野に字向若栗の辺りか。河沼郷は後に河野郷・河野島と呼ばれてようなので、今の木曽川尾張河)・境川長良川(墨俣川)に囲まれた一帯、即ち、岐南町笠松町・正木町・竹鼻町等を含む島状地域であったと思われる。このように見ると、葉栗郷を中心として、東に村国郷、南に若栗郷と大毛郷が位置し、北から西に河沼郷が存在する姿が想定される。
 以上凡その見当はついたが、江南市河野町や後飛保町各務ヶ原市の川島町がどこにぞくしていたかは、補強する資料がないと判断できない。なお、刻印須恵器が現在の江南市宮田字貝売付近から集中して出土しているのは、木曽川大船航行の限界地がこの付近とされているのと何か関わりがあるように思われるとの記述は、往時の河川交通の様子を偲ばせるものである。(貝売の場所は探索中)