歴史

太陽神信仰と鏡

神武天皇を第一代とする大和国は太陽神を崇める部族の国。その部族を太陽族と呼んでおく。その太陽族のシンボルは鏡であり、伊勢神宮のご神体として祀られている。この太陽信仰と鏡がどう結びつくのか、今一つ判らなかったが、三角縁神獣鏡が魔鏡だったこと…

「卑弥呼の鏡」は魔鏡か、3Dレプリカ実験

「卑弥呼の鏡」とされる3世紀後半の三角縁神獣鏡が、日光などの光をあてると反射光のなかに背面の文様が浮かび上がる「魔鏡」の構造だったことを、京都国立博物館の村上隆学芸部長(歴史材料科学)が発表した(ココ)。 村上氏らは、愛知県犬山市で出土した…

真珠湾攻撃の際、民間には一発も弾は落ちなかった

昭和39年の夏、アメリカ出張の帰りに寄ったハワイで、タクシーの運転手から聞いた話を書き留めておく。 その運転手は、真珠湾攻撃の際に、民間には一発の弾も落ちなかったと語った。その話を聞いた時の感動を今も覚えている。錬度世界一の誇り高き戦士達な…

NHKスペシャル「真珠湾攻撃の謎 知られざる国際情報戦」

72年前の今日、大東亜戦争が始まった。NHKは放送の中で太平洋戦争と言っていたが、これはアメリカの呼び名であり、日本は太平洋だけで戦ったのではない。アメリカから見れば日本との戦いは殆んどが太平洋を舞台としたものだが、日本側から見れば違う。…

湯築城歴史塾第4回「室町期河野氏と河野通生の流れ」

台風一過、漸く傘が要らない一日だった。 今日の講師は愛媛県歴史文化博物館 専門学芸員・土居聡朋氏。河野通生の名は屡見るが事蹟は殆んど判らなったので、前から非常に気になっていた。今日の講演を聞き、通生は兄の教通と表裏一体の活躍で、河野宗家を支…

平成25年度湯築城歴史塾第二回

子規博で今年度歴史塾「河野氏とその一族」の第二回が開かれた。講師は松山大教授の山内譲氏、演題は「鎌倉期河野氏と一遍」。先月一遍上人ゆかりの寶厳寺で火災が発生し、本堂が全焼、重要文化財の「木造一遍上人立像」も失われたばかり。従って今回の講演…

湯築城跡で出土した同笵瓦の製作時期

先に3月10日〜12日の3回にわたって湯築城跡で出土した瓦について思う所を書いたが、ブータンさんから貴重なコメントを頂戴した。一部を引用する。 伊予に瓦版木が伝来して大量生産が始まったのは、「菊間瓦」の 伝承によると、天正元年に信長の安土城…

2013年度湯築城歴史塾

今年度の湯築城歴史塾の案内と、昨年度の湯築城歴史塾要旨集が届いた。早速今年度の歴史塾の日程表を「伊予中世史への招待」の「お知らせ」欄(ココ)に掲載。 今年度のタイトルは「河野氏とその一族」で、河野氏の支族に焦点を当てている。面白い視点だ。そ…

石原慎太郎の言う通り侵略に非ず

石原慎太郎共同代表は2013年5月17日、朝日新聞の取材に答えて、先の大戦の旧日本軍の行為について、「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」と語ったと言う(ココ)。 当時アジアに独立国は日本とタイが有る…

瓦を出張して焼く理由

何故瓦を出張して焼いたのか。あくまで推測だが、二つの理由が考えられる。第一は、瓦は寺院か城などで使われるだけで、瓦産業が各地で成り立つ程の需要がなかったため、瓦を焼く職人集団は泉州など、特定の地に存在するだけだったのでは無いか。ところが大…

昨日の話を少し考えて見た

昨日の同笵瓦の件は、版木を持っていたのはどこかがキーになる。勘では泉州だが、断定するのは確実な証拠が見付かるまで待つしかない。 瓦を焼く窯は用済み後壊してしまうと言うのは、何を意味するのか。この件に関係すると思われることを思い出した。湯築城…

湯築城で出土した岡豊城・中村城との同笵瓦

湯築城資料館で湯築城の発掘調査に携わった中野さんに逢った。本当に久し振り。その中野さんから面白い話を伺った。第一は、湯築城・岡豊城・中村城から出土した同笵瓦と同じ紋様の軒平瓦が堺(泉州)で見付かったと言う。これは大きな発見で、版木が泉州に…

平仮名が書かれた9世紀後半の墨書土器発見さる

京都市中京区の平安京跡にある平安貴族の邸宅跡で見つかった9世紀後半の土器片から、多数の平仮名を記した墨書が見つかったと、京都市埋蔵文化財研究所が28日、発表した(ココ)。これまで最古とされていた同時期の平仮名よりも現在の形に近く、10世紀…

湯築城歴史塾第4回「河野教通とその時代」

今日は湯築城歴史塾第4回で、山内譲先生の「河野教通とその時代」。教通は前3回の通信、通有、通盛らに較べれば知名度は低いが、応仁の乱と言う争乱の時代を生き抜き、伊予に於いては予州家の通春との抗争を凌ぎ切った人物。そして忘れてはならないのが、…

「伊予平岡氏を辿る」講演会は大盛況

予報では昼頃台風のピークの筈だったが、幸いにも青空が見え、陽も射してきたので、傘を持たずに出かけることが出来た。ラッキー。 講演会は平岡氏のご子孫が40人もお出でになり、大変な盛況。伊予平岡氏の確実な史料は戦国末期になって初めて出て来る状況…

義経は大陸の戦法に通じていたか?

歴史街道10月号は楠正成を大きく取り上げている。その中で童門冬二が「天才的な軍略と強烈な侠気・・・痛快無比の英雄の魅力」と題して楠正成を描いている。これを読み進めると次の一文に目が止まった。 彼(正成のこと)が「天才軍略家」の名をほしいまま…

県・市教委工事現場を見学

河野氏館があった可能性がある松山市道後町2丁目の奥島病院工事現場を、県教委と市教委の職員が26日に見学し、病院側の協力を得て、掘削を受けていないと思われる場所を27日に調査することに決まったと言う(ココ)。 ただし、今行われている工事は建て…

河野館跡かも知れぬ場所で病院の増築工事

迂闊だった。今朝の愛媛新聞に「中世伊予・河野氏当主館想定の地 松山の病院工事で掘削 県・市教委包蔵地していせず」と題し、工事の写真とともに県・市教委の手抜かりを指摘している。 この場所が河野館跡ではないかとの推測は、2002年の県道拡幅工事に…

湯築城資料館主催の24年度歴史塾始まる

今日は歴史塾第一回。満員。遊行さん、香川から参加。遠路はるばるお疲れ様。終わってから子規博前で「南町」さんに声を掛けられる。名刺を頂戴する。後で思い出したのだが、前にもお会いしたような気がする。 その後marugenさんと落ち合い、おいでん家で乾…

三間の土居・今城氏について西尾先生と意見交換

三間の人から資料館宛に三間の土居氏と今城氏について質問があり、先週に引き続いて西尾先生と語り合う。清良記の記事を鵜呑みにするわけには行かないが、紀州藤白の鈴木氏との関係は頭から否定するのは早計で、鈴木氏宗家と直接ではなくても、紀州と何らか…

遺跡の空白期

遺跡の空白期と言うものがあると言う。大津波によって浚われ、本来あった筈の遺跡が失われてしまうのだそうだ。そんな大津波に襲われると、文明の空白や後退が生じることがあると言う。今の時代、そのような大地震と大津波で原子力の事故が起きたら、人類と…

湯築城を藤堂高虎が使っていた?

愛媛新聞に、30日に西条市で開かれた西条歴史文化講演会で、三重大学の藤田達生教授が「藤堂高虎と伊予」と題し講演したとの記事(ココ)。藤田教授は藤堂高虎と、同時期に伊予を支配した加藤嘉明との間に「強い軍事的緊張関係があり、嘉明が松山城を築い…

地元有志が大除城を調査

久万高原町にある大野氏の居城であった大除城跡の本格的な調査を、地元の住民有志14人が行った。今後調査を続行し、詳細な平面図(縄張り図のことか?)などを作成するそうだ。 この記事は愛媛深部本紙に載っていたのだが、愛媛新聞ONLINEには無い。何故?

大洲城石垣を古来工法で改修

一部傷みが激しい大洲城石垣を古来工法で改修を進めるに当たり、国庫補助が付くと言う。これは画期的なことだ。 安土城の石垣修復に際し、唯ひとつ穴太積みの技術を伝える粟田建設に工事の打診が来た。建築基準法によると積んだ石をコンクリートで裏打ちする…

南京事件は中国のドグマ

ノンフィクション作家の安田峰俊さんが2012年2月24日、ネット番組「J-CAST THE FRIDAY」に出演し、中国において「南京」はドグマなので、中国と公的なルートを通じて南京事件問題を討論しようなんて『考えるだけムダ、言うだけムダ』としか言いようがないと…

冠山の七郎明神を確認

昨日、久し振りに湯神社の石段を登った。筋肉を傷めて以後登ったことが無く、本当に久し振りだ。まだ伊佐爾波神社の石段は登る勇気は無い。 石段の下で湯神社の宮司さんの手伝いをしていると言う人に出会い、色々と教えて貰う事ができた。石段を登りきった右…

2011年度の湯築城歴史塾終わる

今年度の歴史塾は今日で終了。最後をN先生が締め括った。重要な話が幾つもあったが、その一つに「予章記」の成立過程に関する丸山幸彦氏の論文「近世『予章記』の成立とその構造 −南明本を中心に−」の話は衝撃的だった。その内容はかってN先生の毛利氏の意…

河野政通に関する件、発展の予感

河野政通について軽い気持ちで書き込んだら、予想外の展開になりそうな気配。通信流刑の実態とも関連する模様。インターネットを検索したところ、詳しく調べているサイトを見つけた。専用のスレッドを立てる必要がありそう。

資料館で資料二つ入手

館長に会いに資料館へ出かけたが不在。だが、「中世河野氏の諸国への広がり」と道後動物園開園時と閉演時の案内図(園内の配置圖)が目に入り、各一部頂戴する。 前者は河野氏関係交流会で貰ったのだが、行方不明で捜していたもの。助かった。 河野政通は武…

信長は平氏でなく忌部氏か?

福井越前町教委が同町の法楽寺で60年以上前に見つかっていた石造物に記された銘などを調査した結果、織田氏のルーツは平氏でなく、町ゆかりの忌部氏」と指摘したと、共同通信が今月の1日に報じていたらしい。愛媛新聞に今日載ったので調べたところ、福井…